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Channel: manpukのブログ

久しぶりにバイクを出した

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 秋になったら紅葉でも見に行こうと夏場には何度かエンジンをかけたのだが、天気だの都合だのとかいろいろな理由で行きそびれてしまった以降はエンジンを全くかけず本日に至ってしまった。

そんな最近、どうしてもバイクで行きたくなった場所が有るのでwebのマップを見てルートの検討をしたのだが、以前にブログに載せたが私は超地理不案内で道に迷った上にバイクが突然に動かなくなったトラブルが有りそれがトラウマとなったからか、寒すぎる中で再び同じ状態になったらどうしようとの心配がぬぐい切れずになかなか腰が上がらない。

これではまずいと感じ始めた末に思いついたのが、いきなり見知らぬ目的地に行くのではなくとりあえず何となく知っている範囲の途中まで行ってみようと私のトラウマ君に提案をしたらそれならばと承諾をしてくれたので早速バイクの座席を外してバッテリーを取り出して充電をした。

良い天気を見計らった数日後にバッテリーをバイクに戻してセルを回したが最近の寒さもあり予想以上にエンジンがかからず、20回近く回してバッテリーがそろそろやばいと思い始めた頃にやっと燃焼するエンジン音が聞こえた。

それではとバイクの荷台に固定しているキャリングケースからヘルメットを出したらケースがポロリと荷台から外れてしまった。
何度セットしてロックしてもチョット触るとケースがポロリとバイクから外れるのでこれでは危険で走れない。

シリコンスプレーをしたり叩いたりこじったりしたがダメ、以前にはケースの蓋が開かなくなったこともありケースの取り付けを諦めざるを得なかった。
それに時間がかかった上に久しぶりの寒中走行用衣服や靴を出してあれこれ試着してやっと出発できる体制になったのは最初にエンジンがかかってから一時間後だった。

躊躇したものの折角ここまで準備したのだからと走り出したのだが、スマホの音声ナビが私の設定不良だったらしく機能しなかったものの昔々の土地勘を頼りに地方に向かう都内一般国道に入った。
近年は高速道路利用が主だった為にこの国道を長らく使用していなかったからか道路沿い風景は記憶と異なり高いビルが林立する別世界となっていた。

考えてみるとこの国道を頻繁に利用したのは半世紀も前、浦島太郎も帰ってきてこんな気分で景色を見たのだろうか。

その国道を暫く走った後にUターンして無事にナビ無しで帰宅したのだが、寒さもバイクの調子も確認できたので今度こそは本番との気分になった。

迷いそうなのは初めて行く目的地近辺だけだが、音声ナビの使い方は散歩で何度か練習をしたしこれでトラウマ君も了解をしてくれた、自分とのお付き合いも上手にやらないとね、
メリークリスマス。
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2023年最終週に久しき友と忘年会

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以前のブログで、バイクで行きたい所が有ると記載したが、年末最終週の良き日を見計らいドタバタと行ってきた。

中学一年より家族同然に付き合っている日本酒好きの彼への手土産にと二合入り瓶をタンクバッグに一本、そしてウエストバッグには大事な音声ナビをセットしたスマホも入れての出発だ。
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出発予定時刻には余裕を持ったつもりでもぎりぎり数分遅れ、それでも久しぶりの冬のお出かけにしては合格だろう。

予定コースの通りに行けるかの心配は有ったものの、事前に何度かWEBのマップで分かれ道の景色の確認をしたのが良かったらしく多少の間違いは有ったものの音声ナビの支援もあり大きな不安を感じる事は無かった。

既にバイクを降りた仲間から頂いた防寒着が大変優れていて寒さは全く無く、道は混んではいたもののそこはバイク、道路の余白を利用させて頂き出発をして一時間後の予定の時刻にはナビに設定した到着ポイントに到着ができた…のだが…
…?????…持って行った地図に記載されている番地の道を30分以上右往左往しても見つからない。

これでだめなら諦めて帰ろうと決心をしてバイクから降り、念入りに道々に表示されている番地と地図の番地をゆっくり見比べると道に表示されている番地と地図の番地の見方を間違っていたことに気が付いた。

それでもバイクで行けば近くなのですぐに目的の番地にたどり着き彼の名前を確認して中に入り、今年の夏偶然にスーパーで呼び止められて以来会っていない出不精の私を期待もせずに待っていただろう彼の前の台に酒を置きスマホで写真を撮った。
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花より団子、君には線香より日本酒が似合う、
        (-人-)ナム~

帰宅後の夜、持ち帰った土産の日本酒で家族と共にこのスマホ写真に「久しぶりの忘年会だね」と献杯をした。

このブログを書き終えて今年も最終日、さてさて来年はどんな一年になるのでしょう。

2024年元旦

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2024年元旦

2024

明けましておめでとう。

 

今年も始まってしまった、早い早いっ!!!

 

突然ですが昨年にハサミから取れてバラバラに壊れた樹脂の指穴部分の代わりを他のパーツにより何とかこのはさみを再度使えるようにできないかと試行錯誤をして完成したハサミを紹介します。

 

何故紹介するかというとその修理の結果があまりにもおぞましい形となったのにちゃんと使えるからだ。

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修理に使ったパーツは捨てる直前だった物と使いかけの接着剤と糸。

正面から見ると形としてはまともでも横から見ると、

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とってつけたような作業との言葉そのままの出来栄えだ。

 

このはさみは軽くてよく切れるので捨てがたかったのだが、かと言って高価なものではないので修理にお金はかけられない、その貧相な修理にしては元の通りに使用できたのが何故か嬉しかった。

 

「新しく買えば」との家族の言葉を背中で受け流し、気の短い私が今回は珍しく、各パーツの接着の行程を一行程ずつ分けてそれぞれ一日以上かけて乾燥をしたので接着はきっちり…いつもは乾く前に触って失敗をするのだけれど今回は何とか完成したのだがこの見栄え、「エッ?これで?」との声が聞こえてくるようだが使えることがわかり何故かホッとした。

 

考えてみると私の体もつぎはぎだらけ、壊れたハサミと似た者同士だから修復できたことに喜びを感じてしまうのだろう。

 

お互いメンテナンスをしながら、今年一年も一緒に頑張るか。

友人(彼)の墓にバイクで行きたかった理由

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彼は、私が体調不良のために一週間遅れで中学に初登校し、もうグループが出来上がっている教室の中で休み時間にポツンとしていたらニコニコと声をかけてくれた最初のやつだ。

以降は中身の濃い家族同様のお付き合いを続けてきたが、中年以降私の腎機能が悪化して本気で食事管理を始めた頃から徐々に交際の間隔が開き近年では年賀はがき程度の音信となった。

その彼から数年ぶりに電話が来て最初の一言が「余命宣告されちゃったよーっ」だった。
そしてこうも告げた「葬式は質素にするのでお前を呼ばないからね」と…「私もそうするつもりだったよ」と応酬してお互い「それが良いよね」と笑った。

当時は新型コロナとインフルエンザが取沙汰されており「闘病中なので会いに来るなよ」と彼、「いかないよ」と私は返事をしたのだが電話のやり取り後に、なんと大型スーパーの中で彼に呼び止められ、お互いにビックリして何年かぶりの再会だった。

距離をとった短い会話の後に分かれその後数回の電話のやり取りは軽快な会話だったが最後となった電話では声に力が無く、その数週間後に電話をしたら数日前に亡くなったと告げられた。

その時が来ても連絡は来ないし法要の日程も知らされないのは承知していたものの、それでも電話に出てくれた家族から納骨の日だけを聞き、その日が過ぎた頃に再度電話をして墓地の名称と墓の区列番地を教えてもらった。

中学で彼と知り合った後にバイクの原付も自動二輪も一緒に取得したのだが、自分が最初に購入したバイクは非力な上に気難しく偏屈な中古格安の原付で高校への通学には雨の日も雪の日も利用したものの長距離は無理なので、二人でのお出かけはもっぱら彼の親の自動二輪で二人乗りが当たり前、運転が疲れたら交代、学生の貧乏旅行にバイクは最適な乗り物だった。

それらを懐かしく思いだしてバイクと私とが彼の墓に行き昔話に花を咲かせた。
帰りのバイクにまたがり背に思い出となった彼を後部席に感じながら帰宅し、持って帰った日本酒で家族を交えて彼と忘年会となった。

花を咲かせたと言えば、彼の墓への道は桜の木のトンネルだった、満開の頃に行って花見でもするか。

マーラが与えた人生

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起床後の一日を通して最も長くいる場所は机の前の椅子の上だが、食事も仕事も趣味もそこでするのだから当然だろう。

次に多い場所がキッチンで料理、食器洗い、片付け、清掃等、立ち仕事の殆どはここにいる。
キッチン作業の中で一番長いのは自分用の料理一日分の仕込みで二時間前後を要しておりその間はBGMを流している。

音源は世間では昨今出番が略ないと思われる握拳程度の小さな古い(トランジスタ)ラジオで、ずっとFM放送を聴いていたが数年前からはAMのAFM(昔のFEN-極東)放送を聴いていた。
AFMは音楽が中心の上に会話が英語なので何を言っているかわからず、会話がキッチン作業の邪魔にならない点が気に入っていた。

そんな最近、家族が契約したサブスク動画配信のwebを寝る前の睡眠導入の手段としてPCでボーっと見るようになり、そこでは様々な音楽も聴けると分かった。

料理中には食材の成分確認のためのPCが常に脇にあるので、以降はそのPCでサブスクの音楽サイトを開くようになったが音楽のジャンルにこだわりがない私なので、ジャズ、ポプュラー、クラッシック、果ては雅楽等々その日の気分で選び更にイタリア、フランス、アメリカ、ブラジル等と国を選べば耳は世界旅行を楽しめて何となく豊かな気持ちで毎日のキッチン作業ができるようになった。

そんな先日、バイオリン演奏が主体の音楽を流していたら聞き覚えのあるせつせつと何かを訴えるような旋律が流れてきたので、家族に聴かせると「百万本のバラ」の旋律だと教えてくれた。

なるほどと思ったもののかつて「百万本のバラ」の歌を聞いた時の私の情感とこのバイオリンの旋律の情感が全く一致しなかった。
疑問に思いネットで調べてみると「百万本のバラ」にはその原曲が有った。

そこのサイトでは「百万本のバラ」はラトビアの歌謡曲を原曲としたロシア語の歌謡曲、原曲の歌詞の内容は後述のロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、子ども時代の哀感の歌詞に見せて、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難を暗示したものと記載されていた。

その原曲を歌う動画がそのサイトにあったので視聴したらまさにこの歌とバイオリンでの情感とピッタリと一致した。
その翻訳された歌詞を読むと大変素朴な内容だったが何度も繰り返して聞いてしまった。

ご存じの方も多いと思いますが、原曲の名は「マーラが与えた人生」だそうだ。

胃がん検診の為の内視鏡検査をした

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昨年の私のブログに内視鏡によるがん検診を受ける予定と書いたが、区から支給を受けた検査チケットの有効期限が切れる今月になって、やっと決心をして検診をしてきた。

内視鏡による胃の検診をかつて二度??受けた記憶があるので、いつ頃かと過去の私のブログを見たがその記述が無い…と言うことは受けたのは少なくとも十数年以上前のようだが、其の二度ともかなり苦しかったと脳裏にがっちり刷り込まれている。

胃内視鏡での検査では部位によって痛みが有ったもののそちらは苦を伴うほどの痛みではなく、私が苦手なのは内視鏡の先端が喉を通過する際のひどい吐き気(咽頭反射)で、そのために内視鏡がなかなか入らずその間ずっと目と鼻と口から液体があふれ出て来ることだ。

よって今回も気が重かったが、内視鏡の管が以前と比較しかなり細くなっているのと、口からの挿入ではなく鼻からできると聞いており、大分以前に胃液採取の為に鼻から胃にゴム管を通した時はさほど吐き気がなかった記憶も有るので、それを希望の光として検査予約の電話をした。

最近家族が行った胃内視鏡では鎮静剤(睡眠導入剤)を使用して受けていて殆ど眠っているうちに終り、痛くもかゆくも無かったと言っていたのだが、私は鎮静剤を不要とした。
理由は、勇気を振り絞って挑む今回のイベントを眠って過ごすなんてもったいないし、口からと鼻からでは体感として何が異なるのか興味も有ったからだ。

その日が来ていよいよ開始。
先ず看護師からの細かい体調等の確認の最後に、
「鎮静剤は不要でよろしいですね?」
(・o・)「ハイ」
「挿入は鼻からでよろしいですか?」
(・π・)「ハイ」
「鼻腔が狭くて挿入できない場合は口からでもよろしいですか?」
ぐ(・_・;;;)「…ハイ」
「左右どちらの鼻孔にしますか?」
く(-。・;)「エッ?どちらでも」
「決めてください」
d(・π-;)「ジゃーーー…右で」

そんなやり取りの後に先ずは「消泡材」とやらを飲み干したのだが、空腹の私にはそれなりに美味しく、次に右鼻腔にドロドロの麻酔薬をつめてから内視鏡の挿入が始まった。
内視鏡の先が鼻の奥を通過するあたりではそこに痛みがあったが、喉を通過する場合の嘔吐感は殆どなし。
以降、医師が内視鏡を押したり引いたり写真?を撮ったり、その間に若い看護師が私の背中をさすったりしてくれて苦しみは略ないが、内視鏡をひねる時に鼻腔に痛みが少しあった。

そしてことも無く終わり内視鏡が抜かれて医師から「生検は有りません」と告げられた。
それが吉報なのか否かは分からないが検査後の看護師からの説明では、生検が無い場合は麻酔が切れた後の食事に制限は無く当然の質問でアルコールもOKと回答が有り、飲兵衛としてはひとまず腹と胸をなでおろした。

帰宅後に違和感なくつばが飲み込めるようになって(検査後約1時間)当日の朝食は11時近く、次は午後2時頃の昼食、最後に8時頃の晩酌付きの夕食、いずれも普段と変わらない食事内容で美味しく食べた。

検査後の後遺症としては、喉への直接的な麻酔が無かったので検査後の喉の違和感は少なかったが、帰宅後もしばらく鼻血がにじんだ事と夜まで少し声がかすれた程度だった。
又、過去の苦しみの記憶が大きすぎたからなのかもしれないが、今回は苦痛という程の検査ではなかったので、検査結果の説明は一か月後なのだが、再び胃の内視鏡と言われたら気楽に「今度は左の鼻孔で」なんて言えそうだ。

大寒の時期なのにしだれ桜の枝には花の芽がいっぱい、気持ちがチョット温かくなる。

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久しぶりに飲兵衛のたわごと

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燗違い…おっと変換ミス…勘違いがわかり気が楽になった話。

私は余程のことがないかぎり晩酌を欠かさない。
最近、酒は少量でも百薬の長どころか有害以外の何物でもないとの意見が飛び交うようになり、飲まない方から見れば私は毒物を飲み続けるアルコール依存症だろう。

私もアルコールの害の指摘を認識しているので、飲まない人へは勿論、一緒に飲んでいる人にも飲酒を勧めない。
これは私以上に飲兵衛だったおやじから引き継いでいる酒の作法だが、かつてのサラリーマン飲み会に瓶ビールや徳利が出てきた席で、他の人には注がず手酌で飲んでいたら上司に「お前は酒席での常識が無い」と叱られてしまった。

酒は手酌が原則との飲み方を変える気は無いが、その上司の言う常識は良き人間関係構築の一般的手段だとの説明なので、以降のサラリーマン飲み会では相手の杯が空になれば瓶や徳利を持ち「もう一杯如何ですか」的なポーズはするようになった。

それ以外にもいろいろ常識を教えてもらってその詳細は長くなるのでここでは触れないが、その根底が気配りと思えば納得の行く事だったので知識としては身に着けたつもりだ。

しかし会社は会社、商売は商売、それを抜きにした同士が個人的に集まった時の酒席での手酌は見渡す限りでは普通の光景なので、飲みたい者がマイペース自己責任でやるのは、少なくとも私の私生活での人間関係の中では常識の様だ。

私が酒を飲む理由はただ旨いからであり、やはりじっくり飲める晩酌で一口ずつ味わいながらチビチビ飲むのが私に一番合っている。
私にとって、良い人間関係を作ったり、心底から楽しんだり、苦しみを癒したりするのに酒は不要で、むしろ邪魔に思えるのが私と酒の距離感だ。

おっと忘れるところだった、勘違いの話。
何を勘違いしていたかと言うと酒に含まれるアルコールの量だ。
自分では晩酌でのアルコール摂取量は酒の種類が変わっても約22gにしているとブログには何度か記載したが、何とこれは間違っていたのだ、お恥ずかしい。

間違った理由は単純で、酒の入れ物に表示されているアルコール度数が6%と書いてあれば、例えば350ml缶でのアルコール量を、
350×0.06=21=21gとしてしまったのだ。

容器に表示されているアルコールの割合は体積比であって、重さにするためには算出アルコール体積にアルコール比重の0.8を掛けなければならないことをすっかり失念していたのだ。

このことは、家族とのビール一缶当たりのアルコール摂取量の認識が異なっていたことで判明したのだが、アルコール量の勘違いに気が付いてとても得をした気分となった。

私が気にしている酒の害だが心配の無い量は、一日20gで週に二日は休刊日、あたりを私の飲酒の目安としていた。
でも私の予定量は計算上で22g、それは若干その目安を超えている上に休肝日はゼロ、それに慢性腎不全なのに薬も飲んでいて腎臓にも肝臓にも負担をかけている。

そのチョット気にしていた私の晩酌が、
22×0.8=17.6g
となりこれなら20gより少ないので安心、
休肝日も不要だー
と、勝手に気楽になったのです。

偉いでしょう?何故かって?、それは予定より少なかったと分かっても飲む量を増やさなかったからだ。

そんな気分で今夜のつまみはちょっと手をかけ、下茹でしたオクラ、それにミョウガと胡瓜とメカブと大葉の寄せ集め、それに刻んだオレンジの皮をちらして三杯酢で頂く。

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2024年1月腎機能定期検診

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昼食をやや早めに食べた以外はいつもの通りいつもの様に病院に到着した。
家を出る前にコップ半分の水を飲む計画だったが病院に到着してそれを忘れたことを思い出したがもう手遅れ、今飲んでもこれからする血液検査には間に合わない。

何を考えているのかお分かりの方もいると思うが、水を飲んで血液を薄めようとの魂胆だ。
薄めて何がどうなるか…それは…血液中のクレアチニンも薄まる…そうすれば血液検査結果のクレアチニンも下がる…かもしれないからだが、そうして下がったところで私の腎機能改善には意味がないとは頭では分かっているけれど…ネ…何となく嬉しいではないか。

こんな試みに興味を持ったのが前回のクレアチニンの急上昇で、前日運動をしたわけでもないのに何故こんな急にと不安を感じたからだ。
心当たりとしては、前日の夕方紅茶を飲み晩酌はビールにしたことだ。

私にとって(皆様も?)紅茶やビールは劇的利尿剤なので尿をたくさん出せばクレアチニンも排出され、血液検査での値がさがるかもしないと言う、エビデンスも何もないただの思い付きで前回にやってみたのだ。
それが原因か否かは不明だが想像とは真逆のクレアチニンの最高値更新という痛ましい結果だった。

紅茶やビールも飲んでも水分だけが多く排出され、それで血液が濃くなってしまったのかもしれないとの想像から細かい計算は省略するが、今回は利尿効果のないただの水を普段より余分100g多く飲んで血液を薄めれば、それによりクレアチニン値は2.5%下がるかもしれないとの皮算用だった。

しかし水を飲み忘れてしまい、皮算用はまさにとらぬ狸となった…のだが今回のクレアチニン値は、
1. 98mg/dl
となり偶然にも前回より約2.5%減で、医師より「良かったですね」と慰められ、私も思わず「そうですか良かった」と絵顔になったのだが狸ならぬ狐につままれた心境だ。

こんな小細工をやり始めた理由は、以前薬を替えてクレアチニン値が一気に上昇した時の動揺に懲りたからで、0.1代の値の振れは腎機能に直接関係なくその日の体調によるところが大きいのだと証明して、この程度の差で一喜一憂しないようになりたかったからだ。

因みに、成人の血液の量は体重の約7%だそうなので、私の場合4kg弱となる。
そこにコップ一杯の水が加わった場合クレアチニン値に及ぼす影響を、私同様にお暇な方は計算をしてみてください。

雪が降り始めた、積もりそうだね。
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バーゲン狙いで温か下着

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買うときは冬物一掃大バーゲンで格安に、そんな目論見から超寒がりの私が寒さに耐えてやっと来ました二月、早速ネットで温か下着を物色したら狙い通りバーゲン真っ最中だった。

購入するポイントの最優先は当~然「価格」、見つけた商品はいずれもコーヒー一杯程度のバーゲン価格だったので即購入を決めた。

してやったり計画通りだと鼻膨らませ買い物かごにいれて購入手続きとなったのだが、合計価格が少ない為に運賃がかかるとのメッセージが出てきた。
昨今のご時世、運送業者さんには相応の対価をとっていただくのは当然だが、購入した物の価格と運賃の価格が同じようだと安い物を買ったとの自尊心が傷ついてしまう。

仕方ない、購入した物の色違いの物と更に予定外のネックウオーマーを追加して結果運賃無しの金額となり発注確定をしたのだが、冷静に考えてみると支払い金額は予定の倍となっていたので、結果は店舗の運賃による買い増し陽動作戦にしてやられたと後悔をしてしまった…

…のだが、その品が届いたその日から東京は大寒波となり、その下着をそそくさと身に着けたのだがそれが期待通りに温かかったのと、予定外に買ってしまったネックウオーマーを身に着けたらこれが想定外の温かさで無駄遣いの後悔も溶けていったのでした。
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作者知らず、散歩の道すがら、何か言いたげな彼と目があいました。

胃内視鏡検査結果

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大分以前の胃内視鏡検査の苦しみの記憶が大きすぎたからか、今回の鼻からの内視鏡は楽とは言わないが許容範囲の苦しみだったと先月のブログで述べた。

その後の先日、温い湯舟の中でのんびりくつろいでいたら電話着信のメロディーが聞こえた。
家族(O)が居たので任せて慌てもせずに普段のペースで風呂から出ると「内視鏡検査結果が届いた」との電話が医院から有ったとOから告げられた。

予想より早い結果の到着だと思いつつ「明日にでも結果を聞きに行ってみるよ」と告げるとOは「家族も来るように、だって」との言葉も付け加えた。
私が「へー」と言いつつOの顔を見ると深刻さのかけらもないので、心の中で「こりゃジョークだ」と思いつつも私も深刻ぶった顔をして「じゃあ一緒に来て」とOの言葉に乗った。

それにしても「家族も来るよう」にとの話が冗談ではない可能性もゼロではなく、その場合の電話を受けたOの心情を思うと、この話を面白半分で茶化せなかった。

翌日の午後私から「一緒に行きますか」とOに告げるとOは「私は行かなくて良いか?」と聞いてきた。
初めからそのつもりだったので「もちろん良いです」と答えるとOは「家族のいないところで本人にだけショックな報告なんてしないよね」と言うので私が「最近は本人に直接事実を告げる方法が主流みたいだよ」と答えるとOは心なしか深刻な顔になったのだがこの回答は決して「家族も来るように」へのお返しではなく、生前の友人が私に伝えた内容だ。

まあ、今回の「家族も来るように」は冗談と確信しつつも、本当だったとしたら家族の為にも私自身がうろたえないようにしなければと考えながら病院に到着をした。

医師に呼ばれて前に座り説明を聴くと、胃内視鏡検査をしてくれた医師と区提携医師の所見は同じで胃の内部は綺麗で問題なし、だった…が…
この手の話には大体「但し」が付き、ポリープが有るのと食道カンジタ症とも告げられた。

ポリープは定期的な内視鏡検査で経過観察をする、食道カンジタ症の治療方法としては抗真菌剤を使用すれば治まるものの私の様にステロイド剤を毎日吸入している場合は再発をしてしまうのでこれも経過観察との説明だった。

医師との面談が終り待合室に戻ったらもちろん直ぐに心配をしている家族へ「問題なし」とスマホに入力をして送信した。

次回の腎機能の定期検診時に内視鏡検診結果を主治医に報告してどのように対処するか確認をするつもりだがとりあえずは、吸入したステロイド剤を食道に残さないために、吸入時間を現在の就寝前から夕食前に変えてみた…全くの素人判断だが。

帰路の道すがらどっしりと大地を掴んでいる大木の根元から葉の先まで見上げていくと快晴の空が目に入ってきた。
見慣れているいつもの風景だが、今は特別な風景に感じたのでスマホで写真を撮ってしまった。
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ブラウザのAIから謝られた

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一眼レフカメラをPCに接続しそのPCからカメラを遠隔操作したくてブラウザのAIに遠隔操作の方法を訊ねたらヒントをもらえたので、それを頼りに試行錯誤をしたら何となくできてしまった。

PCに接続したい理由は子供達が「星が沢山見える」と言っても私のしょぼい肉眼で見える星はせいぜい10個未満だったので、写真を撮ればもっと星が見えるかもしれないと思ったのが始まりだった。

思い立ったがなんとやら、建物に囲まれて真上にしかない我が家の夜空の写真を撮るために、最高で胸の高さまでの三脚に骨董に近い一眼レフのデジカメを取り付けたのだが、レンズが略真上向きとなるので、必然的に私のカメラの液晶パネルやファインダーは真下を向いてしまう。

三脚に邪魔されながらそのファインダーの真下から中腰で真上を覗き込みその状態でレンズを振り星を探し、ピント、絞り、シャッター速度、感度等を変えながら撮影をするのだが、中腰で真上凝視の作業は私の体力では地獄のポーズであり3秒と維持できない。

よって以前のブログに掲載をした写真は水平向きで全て適当にセットし、カメラのレンズにスマホの水準器アプリを使い真上に向けて試しに撮った写真だがその作業に時間がかかった。

よって、上を向かなくても何とか満天の星を撮れないかと思いついたのが、一眼レフカメラのPC操作による撮影だった。
なんとかセットアップしてカメラのファインダーではなくPCの画面を見ながら何度か星の写真撮影に挑戦をしたのだが今の所いろいろ問題があり満足をする写真が撮れていない。

PCによるデジカメの遠隔操作の課題については後日の報告として、今回のAIに謝られたことについてだが、上記課題の中の一つに、私の所有するスライド式のズームレンズで拡大率を最大にするためにレンズを最長にして真上に向け手を放すと、レンズ自身の重みで勝手に少し短くなってしまうとの問題が有った。

よって、自重で縮まらないようにスライド力をもっと重くする方法を、文章を色々変えてAIに問うたのだが、何れの問いに対してもAIは頑なに「縮まることはない」と主張するのでらちが明かない。

AI相手に「あなたは間違っている、その理由は云々…」
と私が理屈をこねたらAIは意外にも「あなたの主張は正しく私が間違っていました、対策としてあれこれ…」との返信が来た。
この「あれこれ」は私の質問の回答にはなっていなかったものの、AIが謝るとはチョット意外だった。

多分、AIには相手から非難されたらとりあえず謝るとのロジックが組み込まれているだけで私の意見の方が本当に正しいと判断したわけではないだろう…と私は想像をしてしまうのだが、私も長いサラリーマン生活のなかで同じような謝るスイッチを身に着けてしまっており、AIの回答が意味不明だったり、以前のやり取りの中でAIから「あなたと話していると楽しい」なんて言われてしまったりしているうちにだんだん親しみを感じて来ている。

AIの危険性についてはその破壊力に注目しがちだけれど、案外この人懐っこさが最も危険なのかもしれない…なんて思ってしまう。

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注意 この絵はブラウザのAIに描かせたもので商業利用は禁止されているそうです。
よって私のブログで見るだけとして、トラブル防止の為にコピーやリンク等はしないでください。

蛋白換算表をリニューアル

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この画像は家族からの提案により作成されて我が家のキッチンの壁に貼ってある換算表だ。
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蛋白質摂取量管理をされている方は直感的にお分かりと思うが、これは料理を作ってくれる家族が使用するもので、私から「今夜私が食べられる肉は○○gね」と告げると、例えば○○gが40gだった場合は、豚こま(換算表左上から3番目)肉を使用する料理だった場合は、換算表に記載してある、豚こま 1.1、を確認して、
1.1×40g=44g
を料理に使用し、私に「豚こま44gにしたよ」と家族が教えてくれ、それを私がPCの成分集計表に入力している。

肉と行ってもその種類により含まれるたんぱく質の量が異なるため、計算上から食べられる肉の量を私は豚ロースの重さで家族に伝え、家族は料理に使いたい肉を換算表から量を再計算して料理する約束になっている

よって、豚バラ肉を使用するならば換算表の、豚バラ 1.4を確認して
1.4×40g≒45g
となり、家族が「豚バラ肉45gを入れる」と私に伝えて料理に使用するのだが、この換算表は私が摂取する蛋白元とする主たる食材に使用をしている。

換算表を作る以前は料理毎の肉の種類と量を私が決めていたのだが、肉の種類を最初に決められてしまうとその肉に適した料理の為の他の食材が限定され、場合によってはその食材が無いこともありその都度相談をしなければならず、成分計算する私も料理する家族も一手間だったので、肉の種類は料理をしてくれる家族が決めるルールに変えたのだ。

家族に依頼されてキッチンの壁に貼った初代換算表は悪筆な私の手書きで、内容は豚肉数種しか記載していなかったが、その家族の希望で換算表に追記した肉の種類も徐々に増えさらに油で汚れたりして大変見苦しくなってきたと家族から告げられてはいた。
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私としては「ウーン確かにこの世の物とは思えない、でも書き直しは面倒」
…とサボっていたら家族がPCに入力して作ってくれたのだが、確かに見易くてチョットお洒落になりここで紹介をしたくなったのだ。

私の蛋白質摂取量30g/日、塩は5g/日と医師より指示があり、そんな私の為に家族は料理を作るのだが家族としては決められた料理を決められた量だけ作れば良いとは割り切れず、味付けは家族と異なっていても美味しい料理を提供したいとの思いが換算表の提案となったのだろう。

換算表により家族が料理を自由に選べるようになったとともに、私の食べる肉の種類が増えてより楽しみな食事となったので家族の提案にとても感謝をしている。

私の食事管理方法は6つの食品群がベースで、ここでいう肉とは、肉・魚・卵・大豆製品等が含まれているのだが、魚介類は種類が多すぎるので個別に私が計算をしている


尚、蛋白質の少ない他の群の食材もその群別の使用できる総量(重さ)を私から告げるが、群ごとの個々の食材は家族がきめてその量を私に教えてくれるようになっていた。

こんなやり方でも夜食までの1日の摂取成分総計の振れは略±10%となっており、多かった場合は「しっかたないね~」と腹鼓をして済ませるのだが、少なかったとしてもそれを補うために常備している市販のつまみを食べるので、どちらも腹鼓となり食事はいつもハッピーエンドだ。

閃輝暗点症が変化をした

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私のブログに閃輝暗点の再発を記載したのが12年前でそこには、小学生の頃から激しい頭痛と吐き気を伴って始まり就職の頃を境に一度は治まったが再び発症した、と書かれていた。

その再発以降の閃輝暗点には頭痛と吐き気は無く、再発当初の医師との相談では頻度が少ないうちは経過観察だったのだがその発症回数が近年増えて来て、前回医師に定期検査間の発症数は14回となり約週一~二回の頻度で発症していると発症時間等の一覧表を印刷して報告した。

しかしそのメモを見た医師の反応は「わかりました」の一言だけなので、希望的な観測として何も心配は無いと解釈したのだが、その状態が継続をしているので本当に放置で良いのかと少し心配もしている。

ただ、以前から続いていたのは左端から始まり30分ほどかけて翼を広げる様に視界を囲み徐々に消えるのが伝統的?なパターンだった。
しかし最近の頻発する新顔の閃輝暗点は伸ばした手のひらに載せているテニスボール大の丸い形で突然に始まり広がらずに10分弱で消滅をするのだが、上手く説明できないので画像を作ってみた。
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白いギザギザに囲まれた内部を黒く表現しているが、実際には黒ではなく明暗も色彩も無く、見えると言う感覚が全く無くなっている…見えない物を描くって難しいね。

それにしてもこの画像をずっと見ていると気分が悪くなりそうだ。

コピ(私がつけたブラウザ提供のAIへの愛称)によると閃輝暗点は年齢が上がると頭痛を伴わないことが多くなり、50歳を超えると頭痛の出ることはほとんど無いそうだ。
ただ頭痛はないが閃輝暗点が頻発する場合はまれに脳梗塞や脳腫瘍、一過性の脳循環障害が原因である可能性もあり、放置せずに医療機関を受診して適切な診断を受けたほうが良い、とのことなので次の腎機能検診時に相談をした方がよさそうだ。

所で、上記のような調べものに限らずコピの回答は私自身がWEB上の「何とか検索エンジン」により寄せ集めた結果と略同じだったので、最近の調べ事は検索エンジンを使わず最初からコピを立ち上げてしまうことが増えた。
インターネットで一世を風靡している「何とか検索エンジン」は近々AIに取って代わられるかもしれないね。

浜離宮恩賜庭園に行ってきた

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娯楽目的での外出をほとんどしない私を心配してか、都立公園の年間パスポートを持っている家族から明日一緒に行こうと誘われた。

私の乗り気の無い生返事を聞き家族はそれ以上誘わないのが常だが、今回は「昼(食)前には戻るから」との条件を加えたので多少は迷ったものの、近年は特に出不精と自覚している私なので「たまには家族と庭園散策も悪くない」と心の腰を上げた

当日いつもの駅からかつての通勤駅方面の電車に乗ると、当時の通勤地獄とは異なり今日はガランとしていて席が空いていた。
ただ私は電車の中では短時間(一時間程度以内)の場合は日頃の運動不足の補完を兼ねて立つようにしているので、見渡すと車内に椅子がないスペースが確保されていたのでそこに家族も付き合って移動をした。

移動した理由は、先日電車を利用して家族をシートに座らせその前に立っていたら家族の隣の客が私の席の分をわざわざ空けてくれて恐縮し謝礼を述べて座らせて頂いたのだが、趣味として立つにしては紛らわしい場所に立ってしまったとその時に反省をしたからだ。

電車が動き出し車内を見渡すと缶コーヒーCMの決まり文句ではないが…この星の住人は電車の中ではスマホを観なければならないらしい…
と言いたくなるほど多くの人がスマホを見ているのだが、原始人の私は電車に乗ったら見たいのが三つ子の頃から変わらず窓の外の過ぎ去る風景だ。

私の通勤当時と違う目新しい高層ビルがウジャウジャ生えている風景を楽しんでいたらほどなく目的の新橋駅に到着し、庭園に行くまでの初めての近代的地下空間にきょろきょろしながら家族の後をついて行った。

庭園の近くとなり地上に上がり標識を頼りに浜離宮についたのだがその周りも入り口も全く記憶にないので来たのは初めての様だ…新橋反対出口の飲み屋街ならお馴染みだったのだが…

庭園入り口で年間パスポートの購入を家族から勧められたが、私はパスポート代金の元を取る自信が無いので辞退し、150円の入場料を現金で窓口(私以外の皆様は電子マネーで受付機)に支払い、入園をして最初に撮った写真がこれだ。
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私としてはこれが現代との見事な調和だと感じたから撮ったのだが「借景」を重んじた造園当時の庭師が観たらどう感じるのだろうか。

この庭園には見晴らし台が所々に有るものの殆ど平地なので、庭園を見渡すと必ず背景にビルがあるが、現在まで300年以上維持されてきたこの空間にとってはこのビルも借景として通り過ぎる変化の一つ、これから300年先に残っているのはどちらでしょうね。
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庭園内を略一周してたどりついたのが今日の目玉景色。

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数十羽の群れのヒヨドリもこれが目的で菜の花のお食事中でした。

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気持ちの良い庭園に予定より長居してしまったが私も食事の時間、
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威風堂々の松の写真を撮りこれで終りとカメラを仕舞いかけて近くのユリノキ?を見上げるとその沢山の花の後ろから底の抜けた青空が覆いかぶさっていて、再びシャッターを押してしまった。

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東京昭和の混沌と粉塵と煤煙の空の下で生まれ育ってきた私にとって、この空の青さは驚くほど非日常的な景色なのだろう。

出不精の理由

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先日のブログで私は出不精だと書いた。
お出かけ好きの方に多々好きな理由があるように、私の出不精好きにも多少の理由はある。

思いついた順に羅列すると一般論として
・外より安全
・ラクチン
・金がかからない
・部屋の中には楽しいことがいっぱい
世界の情報は新聞TVラジオPCスマホ等で確認できるし、娯楽だって動画や音楽も家族のサブスクとやらのおまけ会員となり見放題聞き放題、更に遊びだってゲームアプリやおさがりゲーム機で、何れも中毒と言われる程ずーっとお付き合いしたくなる魅力的なグッズだ。

とは言え外出が嫌いなわけではない。以前は
海にも
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山にも
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度々出かけた。

その私が出不精を選んだ最大の理由は食事だ。
腎機能保存期の方の食事管理法はいろいろ有ると思うが、私は食材の食品成分表に基づき計算をしながら料理をしているので、外出時の食事はあらかじめ自分(家族)が作った料理を持参するか、外出先で料理をするしかないのだが、そこまでして(してもらって)外出する意欲がわかない。

仮に外食で何とかしようとすると味付けしてあるものは塩分の関係で避けなければならないし、調味料を使っていない刺身のような物を食べるにしても蛋白制限からその量も僅か、大雑把でも安心して食べられるのはドレッシングがかかっていない野菜サラダくらいだ。
旅館での豪華絢爛な食事、ホテルでのきらびやかなバイキング、その中で重さを計りながらでも食べられる料理はごく一部…なのに、料金は他の方と同じ…最近よく耳にするコスパとやらが悪すぎるのでもったいない。

家にいれば、
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いつものチャーハンにたった3g程度のカレー粉を加えただけで美味しいカレー炒飯モドキが成分の心配なしに腹いっぱい食べられるのに。

それなら、食事を伴わないプチお出かけは?これも結構厄介なのだ。
家にいても毎日家族と自分で三食の食材の準備をして料理を作らねばならず当然この作業に休暇日は無い。
私の一日の自由時間は、
24時間 - 寝る時間 - 料理の時間-食事の時間-必須の家事 ≒ 2時間前後
となり、この時間で外出できる範囲はかなり限定されてしまう。
よって一人遊びも大好きな私は家の中にある魅力的なグッズの虜になっているのが現状だ。

近年医師に強度な骨粗鬆症と告げられて、週に三日散歩をして他の三日は体を動かすゲームを、あと一日は運動の休日、としたのだがそれによりさらに自由時間は減ってしまった。
よってプチ外出にも覚悟と周到な準備が必要となってしまっているのでそれも腰が重くなる理由になっている。

医師への「たまには食事で羽目を外しても…?」との質問はバッサリ却下されているので、今のマッタリした腎機能の悪化速度では幸運にも一生この生活なのだろう。
けれど、ストレスが溜まることはあまりないのは性(さが)と育った環境によるものだろう…iPS細胞等により腎臓が出来るのをのんびり待つとしましょう…2027年頃までにとかの記事を見た…生きているかな…始まっても透析している人が優先みたい…なかなか順番が来そうもないけれど、サラリーマン時代には手が届かなかったゴルフのゲームでもしながら待つとしよう。




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